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◆Dalemain

2017年6月の旅行記より。

3日間お世話になった、居心地のいいコテージをチェックアウトして、
我々はいったん、湖水地方を離れ北東方面へ移動します。

毎日焼き菓子を焼いてくれたり、観光の助言などもいただきつつ、
自由にもさせてもらって、すごく良い宿でした。
とても清潔で、広々としたスペース。
後で考えると最初のこの宿が一番、よかったかもねぇ・・・。

さて、旦那さんと娘さん、2匹の犬にも見送られて一路、東へ!

本日のメインイベントは、Penrith近くの[The Dalemain House & Gardens]。

『魔法の庭 ダルメイン~イギリス湖水地方の田園ライフ~』(2016)、
『魔法の庭 ダルメイン~秋冬 そして 春~』(2017)という2本が
NHKで放映されて以来、行ってみたいな~と思ってました。

こちらのお屋敷の女主人、Jane Hasell-McCoshさんはNHKが現在
イチ推し(?)している、期待のマダムなのです。
今は亡きアメリカのTasha Tudor、京都のVenetia Stanley-Smith(死んでない!)
に続く、スター候補生です。

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あ・・・曲がってる・・・笑。
というのもですねー。
この日も残念ながら雨!!小雨そぼ降るお天気でした・・・。
傘差しながら写真を撮るというのは、かなり難しいものがあります。

まずは駐車場に車を停め、受付で入場料を払うのですが、スタッフは
村人かボランティアと思しき中高年女性陣。
おばあちゃまがもたもたと対応してくれるのですが、どうやら我々を
日本人と見抜いたみたいで、日本語の簡単な館内案内があったはずと
探してくれます。
そうこうする内に、女主人のJaneさんも登場!
とても低くてまろやかな知的で優しい声、気負わぬ普段通りの庭仕事
ファッション。

  「あなたがた、日本からいらしたの?」

  「はい、TV見ました!*^^*きゃっ」

  「第2弾の秋冬編、もう見られたかしら?私はまだ見てないのよ」

  「あっ、放映されました。息子さん、足骨折されてましたけど、もう
  大丈夫ですか?」

  「すっかり治りましたよ。ごめんなさいね、日本語のガイドはこれしか
  ないから、さしあげられないんだけど・・・。読んだら後で感想を聞かせてね」

と、渡されたのはA4のコピー用紙に書かれた案内。
ただ、誰かが(Google翻訳?)直訳したのか、内容は意味をなさない
ところも多々あり・・・。時間があれば直してあげたんですけど。

というか、Dalemain、屋敷自体のガイドブックすらありません。(2017年現在)

館内はガイドによるツアーのみで、贅沢なことに1-2組毎にガイドが
付いて案内してくれるのですが、我々のように語学に堪能じゃない
観光客にはこれはけっこう厳しい。笑
せめて後で学習できるようなガイドブックがあればねぇ・・・。

屋敷内は写真撮影が禁じられているし、ガイドブックはないしで、
もう見たものすらなかなか思い出せません(ぉぃ)けど、立派な中国製の
手書きの壁紙の部屋や、ハウスキーパーの部屋の奥の納戸と
1階のキッチンとを繋ぐ[Priest hole]なんぞも見せてもらいました。
ガイドさんが話してくれたこと、その場では覚えてるのに、すぐに
書き留めないとすべて忘れますね。(^^;

とりあえず、この屋敷の説明としては・・・。

少なくともSaxon時代にはすでにここには地所があり、Dalemainという
名前は"manor in the valley"を意味するそうです。
最初の記録としては、Henry 2世時代に遡り、野蛮なスコットランドの侵入と
戦う一大軍事要塞の一つでした。

その後、マナーハウス化し、末期チューダー朝の有力貴族女性であった
Lady Anne Cliffordの家令をしていたSir Edward Hasellが1679年に
屋敷を手に入れて以来、代々Hasell家のものとなりました。
現在の当主は12代目です。

ちなみに、このLady Anne Cliffordという人は自らの権利による女男爵で、
(つまり、「男爵夫人」ではないということ)
第3代Dorset伯爵Richard Sackvilleという放蕩者と結婚。
このRichardはかの有名な[Knole]を有する、南の権門。
たいして、Lady Anneは北の名門です。

Lady Anneは父親によって奪われ、叔父に与えられた自らの女男爵の
権利を取り戻す訴訟を戦っていました。
その後ろ盾として、夫の助力を頼みたかったのに、この夫、国王James1世に
よる仲裁で得られる、わずかばかりの補償金欲しさに和解に応じる始末。

Lady Anneはこの、女性には何の権利もないような時代に一人、孤軍奮闘し、
「従わない女」として世間から糾弾され、辱めを受けます。

しかし、神は彼女を見放さなかった。

結局、父親の企みで叔父に奪われた彼女の権利は、叔父と従兄弟の早世
により、彼女の手に帰します。
それは1649年のこと、彼女は59歳になっていました。
40年間叔父に奪われていた権利と爵位、数々の城や地所を取り戻します。

彼女は日記や書簡をまとめた本も出しています。
86歳で生涯を閉じた後、彼女の戦って得たタイトルや地所は長女Margaretと
その夫である第2代Thanet伯爵John Tuftonとの間の子供に引き継がれました。

Lady Anneが1676年に死去し、その家令であったSir Edward Hasellが
3年後の1679年にDalmainを手に入れてるわけです。
その費用の一部なりと、Lady Anneの遺産から出てるかもしれません。
というか、失礼ながら、家令ごとき身分の者でもこんなに立派な准貴族的な
屋敷を持てたことに驚きます。Sirってあるし、もともと騎士の家系だったのか?

屋敷中を拝見して、カフェでランチ。
外は雨風激しく、とても寒く。
中世の使用人の食事ホールだったというカフェには大きな暖炉に火が
入っています。
その前のテーブルには老夫婦。

寒そうな私たちが火から遠い席に座ろうとすると、老夫婦から
「ここは暖かいわよ」「こっちにお座りなさい」と。
遠慮せず火の前に同席させていただきました。

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さて、オーダー。
菜園から取れたての、野菜たっぷりポークパイ。
残念ながら、パイは冷たかった・・・。
野菜は武骨な、いにしえの日本の野菜のような強い味がしました。
特にトマトとキュウリ。玉ねぎも。

アルバイトも地元の高校生男女らしく、初々しい。
なんというか、地域一体型?と言うんでしょうか。
みなさん、和気あいあいとしていてとてもいい雰囲気です。
コーヒーはあまり美味しくはありませんでしたけど。笑

老夫婦はアイルランドからホリデーでやってきたそうです。
あいにくの天気で残念ですねー。
湖水地方だからねー。みたいな。笑

さーて、お次はいよいよお庭です!

| UK_2017 | 01:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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◆Keswickの古本屋

2017年6月の旅行記より。

そうそう。
重大な(?)ことを忘れていました。

そもそも、4軒ものプロパティを回ったこの日、なぜゆえ我々が先を急いで
いたかというと、前日Keswickの町でチェックした「よさそうな古本屋」に
どうしても寄りたかったからなのです。

私は無類の本好き。
友人Mは図書館司書。

この2人が一緒に旅行するんですもん、ご想像通りです。笑

で、イギリスのビジネスアワーは17時までなわけで。
特に地方都市の場合、これは厳格に守られてますよね・・・。

Keswickに辿り着き、駐車場に車を停め、坂道を駆け上って店に入ったのは
17時5分前のこと。
危ない危ない・・・。
なんとか間に合いました!!

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これは最終日に撮った、この旅行で購入した本の写真ですが、
この古本屋では4冊買いました。
5分じゃとても選べないほど広い店!!
店のおぢさんが30分ほど延長して選ばせてくれたのでなんとか4冊、購入
できましたが、全然見てないコーナーもあり・・・残念!!

ちなみにお店は[Keswick Bookshop]さん(まんま、や・・・)。
場所は4 Station Stです。
町の高台にあり、けっこう町外れ。

町中には[Bookends]という、一見素敵な古本屋チックな店もありますが、
こちらは新刊書店でつまりません。

| UK_2017 | 23:23 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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◆Keswick

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2017年6月の旅行記より。
さて、[Dove Cottage]を後ろ髪引かれながら撤収し、我々が向かった先は
湖水地方北部の町、Keswickです。

朝からずーーーーーっと!!天気が悪かったのに・・・。
ここへ来て、すっかり青空が。(゚д゚;)
な、なんなんだーっ!!

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この日はKeswickで食事でもしようかと言っていたのですが、お茶をした
このレストランもそうですが、どこも予約でいっぱい。。。
週末だもんねぇ。
それに何か、イベントがあったみたいです。。。

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結局、Mの希望で[Fish & Chips]を買い、CO-OPでデザートやサラダの
材料も手に入れ宿へ帰りました。

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宿の敷地から雄大な景色を眺める。
なんて、いい天気・・・。

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時刻は夜の7時くらいです。
宿の一家はどこかへ食事に出かけている模様。

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名前が思い出せないけど、スパニエル2匹も寂しそう・・・。

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今夜も手作りの焼き菓子が置いてありました。
やっほぅ。

Mは希望通り、Fish&Chips、私はお腹が今一つ空いていなかったので
Chipsとサラダのみ。

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デザートはマンゴームース。
うまうま、でした。

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Mにもらった、ジェレミー・フィッシャーどんのコースター。
きゃわいい。

| UK_2017 | 00:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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◆Dove Cottage

2017年6月のイギリス旅行記より。

この日は本当に朝から大変な1日でした。
[Hill Top](NT)⇒[Beatrix Potter Gallery](NT)⇒[Townend](NT)と
回り、最終目的地はここ、[Dove Cottage]です。

  1日に4つも・・・!!(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)

私は1日に1プロパティを常としています。
多くてもせいぜい、1日に2つくらいまで。
それが4か所ですからね~!

狭い場所に点在しているとはいえ・・・。汗

しかし、旅程やら開館日やらの都合でどーしよーもない。

そして、最後に訪れたこの[Dove Cottage]は、これまで何度か訪れる機会が
あったにもかかわらず、その都度都合が合わなかったり時間が間に
合わなかったりでは入れたためしがありませんでした。

   今度こそ・・・!!

その思いは強く、正直次があるかわからない湖水地方(笑)、何が何でも
今回行っておかなくては!!という強い思いで乗り込みました。

時刻は4時10分過ぎ。
この後、Keswickまで戻り、夕食の買い出しをする予定。
なので、どうがんばっても30分くらいしか時間がありません・・・。

ところが、入場はフリーではなく、ガイド制(がーん!)だそうです。。。
我々には時間がない旨、チケットオフィスで訴えると、スタッフのおじさまが
ガイドに途中で私たちを解放するようアサインしてくれました。

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この小さな小さな家にWilliam Wordsworthとその妹Dorothyが
1799年12月20日に入居しました。
その時、ウィリアムは29歳、年子のドロシーは28歳でした。
彼らは1808年5月まで、この家で暮らしました。

2人は5人兄弟の2番目と3番目で、非常に仲が良かったそうです。
母は彼らが7-8歳の頃に亡くなり、地元の貴族の顧問弁護士だった父も
12-13歳の時に亡くなってしまいます。
男の子供たち4人は下宿して学校生活を送り、女児ドロシーだけは
親戚の家へ。

ウィリアムは長じてCambridge大学St.John's Collegeに進学し、1790年に
革命の嵐の吹き荒れるフランスへ渡り、若者特有の熱情で革命支持者と
なります。
やがて民衆の蛮行を目の当たりにし、徐々に革命熱は冷めたそうな。
1792年、フランス女性との間に娘を授かりますが、経済的に立ち行かなく
なり、1人でイギリスへ帰国。(彼らは正式に婚姻しませんでした)

1795年にドロシーとイギリス南部旅行中に、Samuel Taylor Coleridge
出会い、3人は意気投合。
コールリッジはこう書いています。

   "We were three persons, it was but one soul."

やがて、ウィリアムと2人で"Lyrical Ballads"を共同出版します。
その出版直後、反響を見る間もなく1798-1799年頃、兄妹はドイツへ。
コールリッジも別便でドイツへ出かけます。

小さい頃から少しばかり抑鬱傾向にあったウィリアムはこのドイツ旅行で
かなり鬱っぽくなってしまいました・・・。
それでも”The Prelude”という自伝的作品を手掛け出し、1799年12月には
イギリスへ帰国して、二人の生まれ故郷である湖水地方はGrasmere湖
近くにあるHamletにあった、廃業したInnを借りて住むことになります。

このローカルInnは[Dove and Oive]亭と言ったそうです。
本当に小さな小さな建物です。

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日本的に言うと、10畳あるかないかという空間。
Inn時代のメインルームであり、ワーズワース兄妹時代ではここは
[House Place]もしくは[Fire House]、つまり家の中心でした。

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その部屋の横にもう一部屋あり、ここは元々は妹ドロシーの寝室。
1802年にウィリアムが幼馴染のMary Hutchinsonと結婚してからは、ここが
夫婦の寝室になりました。

一角には珍しい家具があります。
これは左右に洗面台が取り付けられていて、木製の衝立をキャビネットから
引っ張り出して水避けにして使います。(左側、参照)
つまり、現代の洗面所の、ダブルシンクと同じ発想ですねー。

ガイドさん、ここでトレーに載った小枝を見せてみんなに聞きます。

「これ、なーんだ?」

すかさず、わたくし手を挙げて、

「歯ブラシ!」

ぴんぽーん。

19世初頭、人々は柳の小枝の先をブラシ状に裂いて、そこにミントと
灰などを混ぜて歯を磨いていたんです・・・。なんて原始的。

ちょっと興味が湧いて、わが日本はどうだったの?!と調べてみたら。
あらまぁ。
あまり、イギリスと違いはなかったみたい。

ところで。
メアリーとウィリアムが結婚する1802年。
この年、ドロシーとウィリアムはフランスへ渡っています。
フランスに残してきた元愛人とその娘に、今後のことについて説明をしに
行ったのでしょう。

その了解を取り付けたからこそ、メアリーとの結婚話が進んだのだと思います。

どういう取り決めかはわかりませんが、ウィリアムは結婚後もフランスの親子を
サポートし続け、娘Carolineが1816年に結婚するに当たっては年額30万円
(<現在の価値で)を以後20年間に渡って送り続けます。
つまり、総額で600万円。
これを多いと見るか少ないと見るかは各人次第ですが、時代的には愛人や
私生児を顧みない男性が多かったわけで、その中ではできることをやった方
ではないでしょうか・・・。←甘い?

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ここは[Kitchen]です。
ヴィクトリア時代の鉄製オーブンとか、木製シンクが入っています。
片隅には石炭置き場。
湖水地方の冬は凍てつく寒さですからね・・・。
一家の生命線ともいえる、大事な場所でした。

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この方が、ワーズワースさんですよー。

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2階からの景色。
二人が住んでいた時代、この窓からはグラスミア湖が見えたそうです。
今はもう、見えません。家が建ちすぎて。

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これは1837年に取得したウィリアムのパスポートです。
昔は冊子ではなくて、書状形式でした。

   身長:  166cm
   年齢:  66歳
   髪色:  灰色
   額:    禿頭
   眉毛:  白
   目の色: 灰色
   鼻形:   中くらい
   顎の形: 丸い
   顔形:  楕円
   顔色:  ふつう

写真のない時代ですからね。
人相はこうして、言葉で表現されたわけです。
これならスパイ活動も容易だったろうし、誰かになり変わるなんて簡単。
のどかな時代だ・・・。

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2階の一室、[Newspaper Room]。
ウィリアムはメアリーとの間に5人も子供をこさえます。その内、4人が
この狭い家で生まれています。
ここは子供部屋ですが、ここには暖炉がありません。
(当初は窓さえなかった)
この寒い地域に暖炉なしでは冬は眠れなかったと思いますので、
夏場だけの部屋だったのかな・・・?

ドロシーは寒さ対策として、新聞紙を壁に貼り巡らします。

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1800年6月25日の新聞。
何回か重ねて貼っているので、新聞の日付にも隔たりがあります。
この古紙の中に、1800年と1802年の、ウィリアムの何かの賞の受賞の
記事もあるそうな。(壁一面新聞紙なので、探すのは大変だと思います)

さて、我々はタイムリミットです。
ここでガイドさんが、庭へ出る扉を開けてくれました。
残念ですが、途中で切り上げるしかないです。。。
まだ雨の降る中、我々は一路、北へ向かいまーす!

| UK_2017 | 19:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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◆Townend

2017年6月の旅行記より。

さて、我々は朝一で[Hill Top]を。
続いてHowksheadにて[Beatrix Potter Gallery]を見学し、そこから次は
Troutbeckにある[Townend]というプロパティを目指しました。

ものすごくハードな一日の予定です。
実をいうと、この後にもう一つ、見たいプロパティがあるのです!!
なので、正直駆け足気味でした。
1分でも無駄にはできない、とっとと次へ行きたい。

ところが・・・。
ところが~~~っ!!!(;□;)

時ならぬ、マラソン(ジョギング?)大会が湖畔で開催されており、道が
大渋滞!!
次のプロパティへ行くにはWindermere湖北岸のAmblesideというこの町を
抜けなくてはなりません。

抜けた後のルートは細い細い、Narrow roadsが待っているのですが・・・。
ここにも難問が。

大会参加者の駐車スペースが足りず、このNarrow Roadsの入り口にも
駐車する車車車。
狭い道の奥からやってくる車、これからそこへ入ろうとする我々のような車。
にっちもさっちも行かず(退避所にも入れず)、バックもできない無間地獄。

   心臓ばくばく。血圧急上昇。(lll゚ω゚)

Mも固まる。
レンタカーオフィスのお姉さんの、くどいほどの言葉、

     「フルカバーの保険に入らなくて本当にいいのっ?!」

リフレインで脳裏に響く・・・。ああ・・・。
擦りそう・・・。擦ったら・・・。あの時意地を張らずに保険に入っておけば・・・。

あああおおおお、うううう。

嫌な汗をどっとかきながら、なんとかすり抜け、予定よりもずっとずっと時間が
掛かったものの、なんとか到着。
いやだ・・・。
本当に本当にいやだーーーーっ!!(>。<)

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よろよろと車から降りて、どっと疲労した体を引きずりながら屋敷へ。

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眼下に見えるは屋敷に付随する羊毛小屋です。
馬車のまま2階へ乗り入れることができるようにスロープが付いています。

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小雨は止まず。
遠くは靄がかって、これはこれでとても幻想的で美しいです。。。

この[Townend]という屋敷は、400年間、たった一つの家系(The Brownes)が
代々所有して来た田舎家です。
一番古い部分は16世紀終わり、新しい部分は20世紀初頭のもの。

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小さなコテージガーデンもありますが、本日は天気が悪いのでさっと見て終わり。

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母屋に入る手前に、[Dairy/Wash House]があります。

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ひどく原始的な洗濯室です。。。
水道も電気もない時代、家事労働は実に重労働だったでしょう。

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[Kitchen]です。
ここは初期の建物に1623年頃増築されました。

メインの建物より1段下がっています。
これは昔はここで動物を飼っていた可能性があるそうです。
牛とかブタとか。

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今はこのように、19世紀の鉄製のオーブンがインストールされています。

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自在鈎が付いていて、これを伸ばしたり縮ませたりして調理したそうです。

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当時としてはなかなかハイテク(?)なものだったでしょう。
これが入れられる前は、大きなフード付きの暖炉がありました。

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暖炉の煙突天井を下から覗いた図。
肉がぶら下げられているのがわかりますか?
こうして肉の熟成と乾燥、燻製を行ったそうです。

古い時代の暖炉は唯一の暖房器具であり、調理器具であり、家族や
ゲストの過ごす場であり、とにかく家の中心。
しかし、煙突と直だったため、雨や雪が上から降り込んでも来る。
そこで、人々は火の粉や雨雪を避けるために帽子を被ったと言います。。。

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古いレシピを元に再現されたパンやお菓子。

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窓の前に大きな金魚鉢みたいなガラスの器がありますが、これはなんと
照明器具だったそうです。
どう使うかというと、まずはローソクを1本灯します。
これだけではちっとも明るくないので、そのローソクの前に水を並々と入れた
このガラス鉢を置きます。
すると、炎が反映して光量が大きくなるという仕組み。

とにかく夜は真っ暗でしょうからねぇ・・・。
そして、イギリスの冬は暗い時間が半端ありませんから。
こういう生活の知恵を目いっぱい使わないと暮らせなかったのかも。

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ビューターのポット。
ガラスのマグ。
形が可愛い。

さて、動物避けの階段を3段ほど上がって一番古い部分である母屋へ。

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オークの黒々したパネルが重厚さと暗さを表しています。

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あちこちにプリミティブな彫刻が施され、

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オークの大テーブルにはごちそうが並び、

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なんだか、BBCの歴史ドラマのロケでも始まりそうな・・・。

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このまま撮影OKですよね?

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[Library]です。
本は400冊くらいあるそうです。

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17世紀にインストールされた階段を上り、2階へ。

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[The Main Bedroom]。
主寝室です。
この部屋の天井は初期にはなく、屋根組の直下にあったそうです。
そういう事情もあって、古い時代には4 poster bedが使われました。
雪や雨が、屋根のスレートの隙間から落ちて来ても、ベッドに屋根が
付いていれば無事に寝られるというわけです。

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暖炉の前にはこの地方独特の、例のPeg rugが。

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お部屋のスタッフが、この暖炉飾りをよーく見てみて?というので注視。

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おお。
スマイリー?!

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そうそう。
この家のたくさんの古めかしい家具や彫刻には年号が刻まれています。
1626年とか1804年とか。
しかし、実はこれすべてフェイクなんですって。

この家の最後の男性当主、George Brownesは40代で農業を引退した後、
彫刻や家具造りに没頭します。その腕前は玄人はだしだったそう。
(というか、16~18世紀の彫刻って原始的なので素人がマネしやすい)

元から家にあった古い家具にフェイクの年号を彫ったり、自分がイチから
作った家具に古い年号を入れたりとやりたい放題したみたいです。笑

Brownes家は豪農ではあったものの、准貴族であるGentry階級ではなくて
あくまでYeoman(独立自営農民)の一種でした。
従って、社会的階層的にはそんなに高くないので、紋章もありませんし、
肖像画とかお宝的な芸術品などは特にありません。

しかし、誇り高いBrownes家最後の男性として、Georgeは家格をよりよく
見せたかったのかもしれません・・・。
彼には娘が3人、いずれも結婚せず、父親が亡くなった後まで生き延びた
娘はたった一人。
彼女が亡くなると家屋敷は従兄弟の元へ移りますがその彼もすぐに死去。
売りに出され、購入した人もすぐに亡くなり・・・最終的にナショナルトラストの
購入するところとなりました。

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[The Small Bedroom]。

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古いキルトカヴァー。

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パネルで囲まれた小部屋。

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パネルの一角に紋章風の彫刻。
これもGeorgeの彫ったものでしょう。

この部屋の一角に、Georgeの母Lucyの花嫁衣裳がトルソーに掛かって
いますが、その小さいこと細いこと!!
推定145cm、40kgくらいの女性用ドレスなのです。
23歳でLucyはお嫁に来ました。
そして、一人っ子のGeorgeを生む。
思うに、とても度重なる出産には耐えられなかったのでしょう。
(あっ。ご心配なく。Lucyさんは53歳までは生き延びます)

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こちらは召使の翼棟です。
メイドさんの個室。

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ハウスキーパーの部屋。

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・・・その隅に、別のメイドさんのベッド。

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ヒップハングバス。

・・・ここで、Mとどっちの部屋を取るかでもめる。笑
当然二人とも、プライバシーが守られる一人部屋がいい!と。
ハウスキーパーの部屋の隅で寝ていたメイドさんは気の毒すぎる。。。
というか、二人ともどうしてメイド役と決めつけてるのでしょう?苦笑
女主人とか、ハウスキーパーは夢にも思わなかったわー。^^;

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召使用の螺旋階段。

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降りたところに、[Hallan]があります。
Hallanというのは、この地方独特のもので、元々は建物の内と外を
区切るスペースだったそうです。
建物の増改築で、現在はパントリー状態になっていますが。

軽くあっさり見て周れると思ったら、意外とdeepな物件でした。
やれやれ。

さて、お次に行くには閉館時間ぎりぎり。
間に合うか!?
かっ飛ばしていきまっしょい!

| UK_2017 | 19:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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