◆Mottisfont Abbey Garden in 2016(4)

2016年6月のイギリス旅行記より。

終わりが見えないナショナルトラストの[Mottisfont Abbey Garden]の続き。

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さて、元厨房であったカフェで遅めのランチをいただいた後、
数年ぶりに館の中へと入ってみることにしました。

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どうです、このトイレの辺り。
どことなく、修道院風なのがわかりますでしょうか?

そもそも、こちらのプロパティは小修道院(Priory)の地所でした。
(修道院が手に入れる前はサクソン人の聖域だったと思われます)

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1201年、William Briwerという裕福な商人かつ宮廷貴族でもあった人物が
この修道院を建てました。
Richard1世が十字軍遠征に出た際、後に残された王国を任された4名の
貴族の一人でもあったということからも、当時の重要人物であったことが
知れます。

彼は2つの大修道院(Abbey)と救貧院(Hospital)に加えて、この小修道院を
建てました。
この信心深い振る舞いは彼の莫大な富を見せびらかせ、かつ、
領民からさらなる課税を要求することになりました。

恐らくこのせいで、彼は領民に不人気でした。
彼は複数の地域で州の長官になりましたが、Cornwall、Somerset、
Dorsetの領民たちは国王に彼の辞任を求めるためにお金を払った!
・・・そうです。どんだけー。悪代官や・・・。(--;

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彼がNottinghamshireの州長官を務めたのは1194-1199年です。
それはちょうど、かの有名なRobin Hoodの活躍した時代でもあります。
つまり、あの話に出てくる『悪代官』こそ、われらがMottisfontの創立者
かもしれないってわけですね。。。

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その後、16世紀に起きた修道院解散令[Dissolution of the Monasteries]
により、土地建物は修道士から取り上げられ、貴族や富豪に売り出されました。
その際、ここはHenry8世のお気に入りの政治家であったSir William Sandys
(初代Sandys男爵)に与えられました。
もっとも、これにも逸話がありまして・・・。

最初、国王の右腕であったThomas Cromwellが、

   「この貧しき私めにどうぞお譲りくださいませ~!」

とおねだりしたそうなんです。
でも国王はその願いを蹴って、Sandys男爵に与えます。
なぜか?

Sandys男爵は宮廷の中枢に位置し、なおかつ、王妃Catherine of Aragon
支持者でもあったからです。
Mottisfontを王妃の支持者であるSandys男爵に与え、国王に対する彼の
支持を取り付けようとの魂胆でした。
男爵は当時、すでに近くの[The Vyne](これもNT)という地所を所有していましたが
ヨーロッパ大陸に出やすい、更なる大豪邸を得たいと思っていました。

男爵は1536年7月14日に、この地所を所有する書状を手に入れます。
これはLondonのPaddingtonChelseaを国王に与えるという交換条件付き
でした。

続いて18世紀にここを所有したMill家(Sandys男爵の女系に連なる一族)は
修道院の柱廊とテューダー様式の中庭を壊し、モダンなファサードに変えて
しまいます。
※例の、"Abbey"を屋敷の名前に付け加えた見栄っ張りな連中はこの人たちです。(-_-)

それでも、一部に修道院時代の面影は残っています。
特に、いわゆる[階下]の部分には多く残されています。
それは[階上]の人々の目には触れないから・・・という理由だったと思われます。

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最近の発掘調査で、この辺の廊下の下から9体の遺骨が発掘されました。
(写真は展示パネルのもの)

すべて14世紀のもので、おそらくここが小修道院のNave(身廊)であった時の
ものだと推測されています。

彼らは歯の病気に罹り、栄養不足であったことが判明しています。
一般的に思われているより、当時の修道生活の食事は質素であったことが
これにより明示されています。
このうち1体の人物は生涯、身体の不調に耐えていたこともわかっています。
彼は脚とあばら骨を骨折し、椎間板ヘルニアと関節炎も併発していました。

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1201年から150年間、繁栄を誇った修道院時代の後。
突然の[腺ペスト]の流行がすべてを薙ぎ払います。

1348年、イギリスに黒死病が到着。
修道院はたちまち、大打撃をこうむります。
それは、修道院が地域住民と密接な関係にあり、旅人の宿泊所でもあり、
病院も兼ねていたためです。
腺ペスト患者の最前線にいては、感染も荒廃も免れなかったでしょう。

発掘された遺体の一つは、他とは違って骨をスパッと切断され、前腕には
防御創を負っています。
彼は剣戟をかわそうとして亡くなったのでしょうか?
中世の教会においてそんな暴力的な死はありそうもないでしょうか?

「黒死病の時代」にはフランスやノルマンからの侵入者たちがこの地域に
押し寄せ、教会財産を狙って襲撃を重ねました。
そのため、武装した男たちがMottisfontにも防衛のため、常駐しました。
この遺体はその際に亡くなった兵士のものでしょうか?
小修道院時代のいきさつなどを記録したものは伝わっていないようです。
謎ですねー。

・・・っていうか、何年もこれらの遺体の上で生活していたっていうのが、
私にはすでにホラーなんですけどぉ。笑
コワイわっ。

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いったん、外へ出ましょう。
き、気のせいか空気がよどんで感じられます・・・笑

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テューダー時代のKnot Gardenのあるこの辺り。
階段には[Snowgoose]が絡みつき、ロマンティック。

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可憐な白薔薇。ランブラーローズです。

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この階段の奥に細いくぼみがありまして、ここには天使がいるんですよ。

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果物のなる木と天使のモザイク。

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モザイクは大きめです。一つ、1cm四方以上あります。
1947年に製作されたそうです。

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この天使のお顔は、

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この館の女主人Maud Russellをモデルにしているそうです。
作者は彼女の愛人でもあった、ロシア人アーティストのBoris Anrepによるもの。
※ちなみにMaudさん、多情な方で、Ian Fleming氏の恋人でもあったそうです。

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ちなみに、こちらが彼女の年の離れた旦那様で、銀行家。
第6代Bedford公爵の息子でもあったGilbert Russell氏です。
いつも、こんな仮装をしていたわけではありません。(^^; たぶん。。。

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窪みの反対側にある一画。
ここはワインセラーとして使われていたそうです。

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もちろん、いにしえの修道院時代の遺構を再利用しています。
(当時の床はもっと下げられていました)

さて、本格的に邸宅内へと参りますか。
続きます。

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