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◇Wimpole Estate

ナショナルトラストの[Wimpole Estate]。

まずは敷地内にある教会、[St Andrew's Church]へ。
※こちらはNT所有ではありません

今は建替えられていますが、そもそもは13世紀にまで遡る古い教会で、
その一部は残存しています。
これはもともと、Sir Ralph de Ufford(1302-1346)とHenry3世の孫、
第3代Lancaster伯爵(1281-1345)の娘Maudが結婚の絆で
Ufford家とPlantagenet王家を結んだことを記念して作成された
ようです。

150918-5.jpg

このステンドグラスはすばらしいですねー。
紋章楯がいっぱい!!

一番下の中央の茶色っぽい人物は第2代Suffolk伯爵William de Ufford
(1338-1382)だそうです。
ねずみ男か、修道僧かといった風情はご愛敬?

150918-6.jpg

こちらはEdwardianな感じですが、これはCornwallで立ち寄った[Lanhydrock]
の嗣子、第一次世界大戦で戦死したThomas Agar-Robartesの記念碑
だそうです。

ところでなぜ、Cornwallから遠く離れたここに?

それは、実はこの屋敷、一時はAgar-Robartes家の邸宅だったのです。

150918-7.jpg

まず、1400~1650年くらいまではずっとChicheley家の地所でした。
その後、初代准男爵Sir John Cutler(元々は特権的大商人)が1689年に
この地所を買います。
が、彼には息子がいなかったために、その娘(第2代Radonor伯爵夫人)に
受け継がれますが、彼女にも跡継ぎがおらず、Sir John Cutlerの甥である
Edmund Boulter(1635-1709)へ受け継がれます。

1710年には初代Newcastle公爵John Hollesの所有になり、翌年の彼の死
により、娘Henriettaのものとなります。
1713年、Henriettaと第2代OxfordおよびMortimer伯爵Edward Harleyとが
結婚し、夫のものとなります。

※この時代、女性は財産権がほとんどなく、女子遺産相続人はハイエナのような
貴族に狙われました。Henriettaの結婚はどちらだったのでしょうかねぇ~?

さて、棚ボタでこの地所を手に入れたHarleyですが、彼は当時を代表する
政治家であり、芸術を保護する有名人でした。
彼はまた、父Robertと同様に優れたブック・コレクターでもありました。
後に彼ら親子の蔵書は大英図書館にある"Harleian Collection"となります。
時の政府はたったの1万ポンドで膨大な貴重本を購入したそうです。

彼はロンドンのWest Endにも屋敷があり、その近辺には彼にちなんだ
通りの名(例:Harley Street、Oxford Street、Wimpole Street)が
今でも残っています。
後の有名な高級医者街のハーレイ・ストリートも彼から来ているんですねぇ。

彼はTory党でもあり、当時はWhig党優勢だったため、政治的には
隠遁していました。
その鬱憤もあってか、華やかな社交生活をWimpoleにて行い、やがては
莫大な負債を抱えることになります。

彼はその負債のため、1740年に地所を売ります。
買ったのは初代Hardwicke伯爵Philip Yorkeです。
彼ら一族は「Champagne Charlie」とあだ名された第5代伯爵が破産するまで
5代に長きに渡って、屋敷を所有し発展させます。

1894年に第6代Clifden子爵Thomas Agar-Robartesが屋敷を購入します。
(この一族はCornwallの"Lanhydrock"とWimpoleを行き来して暮らします)

その後、1938年に最後の所有者となったのはGeorge Bambridge大尉
その妻Elsieでした。
Elsieは国民作家Kiplingの娘であり、その財産と印税を地所の修繕に注ぎます。
1976年、彼女の死後、屋敷はナショナルトラストに寄贈、現在に至ります。

所有者がコロコロ変わった屋敷ですが、特に重要なのは、文化の擁護者
Harleyと、5代の間屋敷を維持発展させた18世紀のHardwicke伯爵家、
そして最後のBambridge夫妻の3つでしょう。

中でも、18世紀の農業改革に大きく携わったHardwicke伯爵家。
彼らなくしてWimpole Hallは語れません。

元々粘土質で水はけのよくない、農地に向かないこの土地を改良し、
農業技術と動物の繁殖技術を向上させ、農民や領民の生活の質の
改善、教育の付与までかかわった功績は計り知れません。
残念ながら、最後の第5代伯爵は農業に興味もやる気もなく、
享楽的な生活を送り、莫大な負債を抱えて破産してしまいますが。。。
初代~4代までは偉かった!笑

また、この屋敷を彩った建築家は下記のとおり。

James Gibbs (1713~1730)
James Thornhill (1721)
Henry Flitcroft (1749)
John Soane (1790代)
H.E. Kendall (1840代)

と、錚々たるメンツ。これで建築史が書けるような勢いです。

私のお気に入りははちゃめちゃな第2代OxfordおよびMortimer伯爵、
Edward Harleyですかねー。
とても魅力的な人物だったようです。
「屋敷の人間、貴族から下働き、果ては動物に至るまで愛された」
そうです。
部類の本好きだしね。

彼は当時大流行りのパラディオ様式を一刀両断にします。
曰く、

「あんなのは壮大でもなければ美しくもなく、良い趣味と審美眼の
欠落による浪費に過ぎない」
と。

激しく同意です。
パラディオ様式のカントリーハウスはどれもこれも・・・まるで、巨大な
霊廟みたいに空虚で空っぽな、見栄っ張りな感じが痛々しい。
現代で言うと、中国で建設される巨大ホテルに近い雰囲気。
まったく美しくない。なんの感銘も受けません。

Wimpole Hallがその轍を踏まずに済んだのか?というと、それはまた
別の話ですけどね。
正直、私にはそんなに素晴らしい屋敷には思えません。
この屋敷に幸したのは、ロンドンからの距離感でしょう。
遠すぎず、近すぎず。
交通の要衝である。近くにはローマ道もあって、どこまでも平野の中を
まーーーっすぐ南北を繋いでいます。

長くなったので、まずはここまで。^^;

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