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◆Attingham Park (2)

さて、[Attingham Park]の続き。

この屋敷は初代Berwick男爵、Noel Hill氏によって1785年に建設されました。
1745年生まれですから、この時40歳。亡くなるのはその3年後。

彼は22歳の時にのAnna Vernon嬢と家族の反対を押し切り、結婚します。
For Love、愛のために。かっけー!
この頃の上流階級の結婚は家と家との結びつき、経済的、政治的、
さまざまな要因による、契約結婚が普通でした。
だからこそ、教会に結婚予告を出し、結婚への異議申し立ての有無が重要
だったわけです。(簡単に当人同士による結婚をさせないため)
だから、容易に結婚できるスコットランドへの逃避婚(グレトナ・グリーン)が
流行りもしたわけですね。

ところが、このNoel氏は最終的に家族の同意を得て、愛する女性と結婚します。
その、家族による結婚祝いがこの屋敷の前の建物[Tern Hall ]でした。
(さすがお金持ち!結婚祝いが屋敷って・・・汗)

二人の間には娘が3人、息子が3人生まれます。
娘は美人3姉妹、語学と音楽がとても上手だったそうです。

20150428-3.jpg
Anna、Amelia、Henrietta嬢。

Noel氏が思いもよらず、早世してしまったので、残された家族は
悲嘆に暮れます。
男子は上から順に、Thomas(19歳)、William(17歳)、Richard(15歳)。
ちょうど長男Thomasがテューターと共にイタリアへGrand tourに出ており、
母と娘たちも悲しみから逃れるようにナポリへ向かい息子と合流します。
やがて、フランス革命を経てナポレオン戦争時代へ。
英仏の渡航が難しくなったことと、経済的理由から、母親は1797年に
亡くなるまでイタリアにとどまります。
生活費はイタリアの方がロンドンよりずっとずっとかからなかったので。

さて、二代男爵を継いだ長男Thomasはというと・・・。
典型的な二代目。
苦労知らずのボンボン。

グランドツアー中に美術や絵画、彫像、稀覯書のコレクターになった彼は
金に糸目を付けず爆買い。
ちょうど今の、中国人富豪の一団のように。
そして、Attinghamへ戻ります。
彼のコレクションを飾る場所として、リージェンシーの有名建築家である
John NashにPicture Galleryの建設を依頼して。
(この部分、ただいま修復中)

挙句の果てに、1812年、彼が41歳の時。
なんと御年17歳(!)の高級娼婦Sophia Dubochet嬢と結婚します。
ひえー。(;´Д`)

もちろん、For Love、愛のためです。笑
愛情結婚、第二号ですね。。。

このカップル、一人ずつでもすごい浪費家だったのが、二人だと相乗効果で
ものすごい浪費家に。
気前がいいというか。。。
使用人や庭師が医者にかかった支払いなどもしてあげたほど、です。
(当時の医者代は今で言うと、100万円単位の高額医療です)

そんなこんなで、破局はやってきます。
夫婦は破産の憂き目にあい、地所の一部を売り、屋敷の文物も売り立てに
出す羽目になります。

この危機に、イタリアで外交官をしていた次男Williamが駆けつけます。
いくらかの家族の肖像がや家具などをオークションで競り落とします。

Williamが戻るのと反対に、今度はThomas夫婦がイタリアへ出国し、
3年後にThomasはその地で没します。
(妻Sophiaはしぶとくその後ロンドンへ戻り、40年ほど生き延びます)

3代目男爵になったWilliamは外交官を辞める際に余得として得た銀器と共に
Attinghamに戻ります。たくさんのイタリアで集めた絵画や家具といっしょに。
彼が持ち帰った宝の中には、ナポレオンの妹のCaroline Muratの家具などが
含まれ、Attinghamにはより一層、イタリア風の側面が強化されました。

Williamにはイタリア時代から内妻と子供がいましたが、正式な結婚は
しませんでした。ゆえに、子供には相続の権利はなく、4代目男爵位は
末弟のRichardに受け継がれます。

Richardが爵位を受け継いだとき、彼はすでに68歳。
教区牧師として、カントリージェントルマン・ライフを楽しんでいました。
まさか、自分のところに爵位が転がり込んでくるとは・・・思ったかな?

6年後、同名の息子が5代目を継ぎます。
その時、彼は48歳でした。
彼もまた、長いことイタリアで暮らしました。
屋敷の改修に意欲的で、1858年には地所に残る古い屋敷Tern Hall を
撤去し、屋敷の近代化に努めました。
また、農業改革にも取り掛かり、地所から上がる収入の改善も図り、
経済的状況を改善しました。

二代目がJohn Nashに建てさせたイタリア別荘風建物、Cronkhillに自身は住み、
屋敷には住みませんでした。(なぜ?)
バカでかい屋敷に住むより、快適性を優先したのかも・・・。
(ちなみにCronkhillはNT所有ですが、年に数回しか開放されていません)

彼は独身のままだったので、6代目は弟であるWilliamが60歳の時に
継ぎます。
Williamは職業軍人であり、相続後もAttinghamに住むことはありませんでした。
彼もまた独身のまま、亡くなります。

1882年、7代目は双子の甥の一人、Richardが継ぎます。
彼もまた職業軍人でしたが、負債を抱えていたので、これ幸いと遺産に飛びつき
軍隊を退役します。
彼が妻にしたのはスウェーデン人女性、Ellen Nystrom。
二人の趣味はセイリングでした。
彼らはAttinghamにはほとんど住まず、もっぱら地中海をヨットで航行するのを
好んだそうです。
1897年、Richardは亡くなります。(妻Ellenはその後も30年生き延びます)

爵位と地所は最後の所有者である、8代目男爵Thomasに受け継がれます。
この人は7代目の双子の片割れの息子です。
伯父が死んだとき、彼は20歳でした。
1903年には彼は外交官として激動のパリで駐在します。
ここで、フランスの家具や絵画への情熱を持ち、新たなコレクションを
屋敷に追加しました。

後の妻となるTeresaとはにロンドンで出会い、第一次世界大戦中は
彼女は赤十字看護婦としてイタリアで従軍し、戦後1919年二人は結婚します。
42歳と29歳でした。

Teresaの父、William Hultonはイタリア在住の画家であり、一家はフィレンツェや
ヴェネツィアに暮らしました。
父の交友関係には画家のWalter SickertJohn Singer Sargentなどがおり、
Teresaは英伊の文化的世界で育ちました。

結婚後二人はAttinghamへ戻り、Cronkhillに暮らす予定でした。
Attinghamは1903年からカナダ人富豪一家に貸し出されていましたが、
(彼らがあまりに悪趣味だったため)二人はここを別の家族に貸し出したいと
思っていました。

しかし、ボロボロかつ、だだっ広い屋敷、戦後の不況および人出不足という
悪条件が重なり、誰も借り手が現れません。
しかたがなく、夫妻がAttinghamに住むことに。

できる範囲で少しずつ、見捨てられ、愛されない屋敷を修理する二人。

第二次世界大戦中は疎開の女子校に屋敷を供出しました。
男子校に貸すよりマシだと思ったらしいです。

1937年ころから、ThomasはNational Trustと屋敷の交渉に入りました。
子どももなく、維持管理費もなく、自分の死後に残された人が苦しめられぬ
ように手配したかったのでしょう。

1947年、Thomasは亡くなります。
そして、屋敷はNTへ寄贈されました。
Teresaは1972年まで生きました。

こうして、およそ200年に渡るAttinghamの所有者の歴史を見ると、

     女の人は長生きだな~ (特に旦那の死後)
     独身のまま死ぬ人、多いな~

という辺りが印象に残ります。笑

ところで。
爵位の流れを整理すると、こうなります。

父(初)→長男(2)
      ↓
      次男(3)
      ↓
      三男(4)→長男(5)
       ・       ↓
       ・     次男(6)
       ・
      長女の長男(7)
       ↓
      長女の長男の長男(8)

と、たった3世代間しか経てないわけです。
しかも、言っては何ですが、あまりパッとした家系でもなく。
これってやっぱり、二代続いた「愛のため」結婚のせいではないでしょうか?
要するに、貴族社会でハブっちょ扱いされてしまったんじゃないかな~?
親の因果が子に祟り・・・ではありませんが、結婚市場ではわずかな瑕疵でも
嫌がられますから・・・。

入り組んでないのでわかりやすい家系図でした。←家系図好き
ハプスブルクやブルボンなどを見ていると頭が痛くなりますからね。
名前の付けられない親族関係(伯父と姪の結婚で生まれた子供とか)や、
再婚、再々婚などもないですし。
シンプルでわかりやすくて、これはこれで面白いですね。

| UK_2014 | 19:32 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

こんにちは~!まだ、去年の旅行記が残っていたのですね、、、
てっきり前回のお庭が素敵なところで終わったのかと(汗)
でも何だか忘れたころにお年玉を貰うような感じがして、ちょっと嬉しかったりします^^
篠田先生にお会いしてから、何だか周りがイタリア~イタリア~って感じになってるところだったので、このお屋敷がイタリア風と言うのが面白そう!見てみたい!と思いました。
やっぱり英国の美術や建築の歴史の変遷を眺めてみると、イタリア抜きには語れないんですよね、、、でも私はイタリア音痴でまったく知識がないので、積読状態の塩野七生先生のご著書を読まねば、と思った次第です。(イタリアだけでなくて、同時期の大陸側の歴史にも疎いです、、、世界史やってないツケが~!)

↓今でも学校で給食時間のお手伝いをする人はDinner Ladyと呼ばれてます。学校給食もSchool Dinnerですし、昔の名残が今も垣間見れるいい例ですね。

| Saori | 2015/05/21 18:50 | URL | ≫ EDIT

イタリア〜

Saoriさん、

えへ。旅行記まだ続きますのですi-209
なかなか終わらなくてごめんなさい。

イタリアの美術、建築、音楽、文化、料理に歴史。
知れば知るほど、ヨーロッパの最深部にして
最高の部分だと思われます。
フランスは単にプレゼンが上手な国、じゃないかしら?

イギリスは文明からも太陽からも遠く離れてるだけに
構えなく憧れられるのかも。
パラディオ様式にせよ、紛い物なのは間違いないです。笑
日本人が西洋に憧れて、長崎にハウステンボスを
作ったみたいに。本物を知ってると失笑の偽物だけど、
知らなければ夢見られるみたいに。

塩野女史は歴史学の観点からすると微妙な部分があり
ますが、読み物として、歴史への取り掛かりとしては
良書だと思います。(゚∀゚)

dinner、なるほどまだ本来の用法が残ってるのですね。
おもしろい!

| 真木 | 2015/05/21 22:00 | URL | ≫ EDIT















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