PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

◆Westbury Court Garden(2)

さて、【Westbury Court Garden】の続き。

こちらはNational Trustのプロパティで、長いことかけてリストアしていました。
かねがね、写真は見ていて、いつか行きたいな~とは思っていました。
廃墟になった庭だよ、と聞いていたのですが、なかなかチャンスがなくて。

ロスト・ガーデンズLoversの私としては念願の訪問でした。・・・が。

     なんか、思ったのと違う。笑

偽らざる、感想です。はは。
ヘリガンの庭みたいな廃墟っぽいのを想像していたんですけどねー。
まったく別物でした。

150102-11.jpg

写真は1705-1710頃に制作された有名なオランダ人画家Johannes Kipの
手になるengraving(版画)です。
今現在残っているのは赤で囲われてる部分のみ。

元々、この地所と館を所有するColchester家でしたが、17世紀半ば
生まれのMaynard Colchester1世の時代に、当時流行していた整形式庭園、
その中でも「オランダ式水を用いた整形庭園」をWestbury-on-Severnと言う
名の通り、暴れ川Severnの支流、Brook川沿いに作庭しました。
1696-1705年のことと推定されています。

さて、問題です。
この1696年という時代。
イングランド国王はだーれだ?
(ヒント:フランス国王はルイ14世です)





答え) 1694年の暮れにメアリ2世が亡くなり、その夫君であり、
     共同統治者であるウィリアム3世が一人で統治

・・・っちゅうことはですよ?
イングランドの国王はオランダ人ということです。
(ウィリアム3世の母親はチャールズ2世の妹であるため、メアリ女王とは父系の従兄弟同士)

これで、この時期、オランダ式ウォーターガーデンがイングランドで
爆発的に流行ったのも頷けますよね?
当時、この辺りだけでも20を超える似たような庭が作られたそうです。
(その中で現在までも残っているのは、Westburyただ一つ)

庭の話に戻ると・・・。

庭を造ったのはMaynard Colchester1世。
この人は父方のColchester家から家と地所を相続し、母方のMaynard家
からは政治家と宗教家としての気質を受け継ぎました。
母方の祖父、Sir John Maynardはステュアート王朝およびコモンウェルス時代に
おける、有名な政治家でした。
その長女がこれまた国会議員であったSir Duncumbe Colchesterと結婚し、
間に生まれたのが彼でした。

祖父は反カトリックの猛者で、プロテスタントの中でも厳格な長老派の大御所。
4度も結婚し、子供たちの誰よりも長く生き残るという・・・憚りのありそうな人物。

その外孫であるMaynardは宗教的改革者で、社会問題の改革者でもありました。

私財をなげうったチャリティなど、立派な行いもしてるんですけど、
人間的に「うわー」と思うのは、彼の父の死に際しての行いです。。。

父Sir Duncombe Colchesterが放蕩の限りを尽くし、末期のベッドに
横たわっているときに、息子であるMaynardは彼を諭し、これまでの
罪の告白をせよと迫ります。

その死後、教会で「みなの悔い改めの見本となるように」亡父の懺悔を
公表する暴挙に出ます。やりすぎー。
こんな息子、イヤだ。

紆余曲折あって、Maynard自身も晩年は政治活動から身を引き、やっと
田園生活を楽しめるかと思いきや、ひどい痛風に悩まされたそうです。
たった50歳で亡くなるのですが、地所や財産は甥のMaynard Colchester2世に
引き継がれ、遺言で娘に遺贈した分は無視されたようです。かわいそ。

甥が遺産を受け取った時(1715年)、たったの12歳であったこと。
そこから、庭園の現代残る形への拡張は少なくとも1720年代後半以降かと
思われます。
(テューダーハウスをパラディオ様式に建て替えたり、サマーハウスの建設、
第2運河の増築など)

そして、2代目以降になると、すでにこのような整形式庭園は時代遅れとなり、
相続人たちは6マイル離れた別の地所、”The Wilderness”へ移り住んで
しまいます。
Westbury Courtはたまに夏の間の水遊びに使われるくらいでありながら、
なんとか生き延びます。

19世紀になって、パラディオ様式の家も壊されます。
(すごく、思い切りのいい一家ですね。。。)
代わりに庭師のために、パヴィリオンの裏手にヴィクトリア様式のコテージが
建てられます。(<これまた後に破壊)

思うに、この庭は【整形式庭園】の絶頂期を過ぎたあたりに造られ、その後の
18世紀に一大ムーヴメントとなった、【風景式庭園】にイングランド中が狂奔
する中、忘れられ、放置されつつ奇跡的に生き延びた奇跡の庭なのです。

古いものをイギリス人は大事にする。

我々日本人は、そう思い込んでおりますが・・・。
近代のイギリス人はハッキリ言って、相当な新しもの好きでした。
それは日本人も真っ青なくらい、潔いくらいの飛びつきぶりです。
(上流階級の家の中を見てごらんなさい。ありとあらゆる「新しいもの」
「流行りの逸品」で満たされていることでしょう)

また、そうでなければ産業革命もなかったことと思われます。

古い時代が地層のように残ってるのは、概して、「運」に過ぎません。
多くの家屋敷は、余裕があれば、その時代の最先端のスタイルに変更
されるのが運命(さだめ)というものです。
ガスレンジが発明されたというのに、誰が竈で我慢しますか?
自動車が生まれたのに、誰が馬車に拘泥しますか?
・・・そういうことでしょう。^^;

破壊して更地にして、流行りのものに建て替えられなかったのは、
この家の場合、他に家屋敷があったら・・・。ただそれだけ。
もし他に住む場所がなければ、とっくに新しい様式に変えられていた
ことと思われます。

猫も杓子も風景式庭園、ケイパビリティ・ブラウン!!
風景式も嫌いじゃないけれど、あまりに画一的で面白くない。
そもそも、風景式は「自然風」なので人工的な広大な地所を歩く羽目に
なっちゃう。馬にでも乗って回るなら楽しいのかも、ですけど。。。

ところで。
この異色の庭は、もう一度だけ光が当たります。

それはエドワード7世時代のこと。
いわゆる、エドワーディアン時代に整形式庭園の再ブレイクがありました。
最後の輝き。

その後、第一次世界大戦を持ちこたえられず、庭は売りに出されます。
開発業者がここを買い上げ、バラック住宅を建てようとして初めて、
地域が動き出し、最終的にはカウンシルが開発業者の手から救い出します。

その頃には廃墟もいいところになっていた、この庭。
パヴィリオンも崩落の危機、運河はドロドロ、刺繍庭園はめちゃくちゃ、
いたるところにウィローハーブが丈高く茂り・・・。

結局、カウンシルがナショナルトラストに寄贈することで、この庭はようやく
手入れをしてもらえることになりました。

1970年に始まったリストアはKipの版画を元に、忠実に建物や壁を復元
することに。今もまだ、リストアの途にあるそうです。

| UK_2014 | 01:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://willows66.blog.fc2.com/tb.php/260-144a777c

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT