◇Oxburgh Hall(3)

間が開きましたが、[Oxburgh Hall]の続きです。
今回は庭園について。

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庭と言っても、こちらはKitchen Gardenです。

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インゲン豆系。

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うーん、アリコ・デスパーニャ(Haricot d’Espagne)かな?

haricotとかharicot vertって、フランス語でインゲン豆のこと。
そういえばこのアリコ・ヴェールにはいやーな思い出があるっけ・・・。

むかーし昔、まだまだ巷に恐竜がわっさわっさ居った頃のことです。

ベルギーはブリュッセルに語学留学で1か月くらい、ホームステイしました。
寒い寒い、2月のことで・・・。
プロテスタントの、不思議な母子+猫のベルギー人家庭だったんですけど、
朝晩二食付きとはいえ、冴えなくてね。。。
朝はママンが買ってくるクロワッサンかブリオッシュとカフェオレ。
夜はチーズとコールドミートの盛り合わせ、たまに煮込みスープ。

ママンは歳の頃、50~60代、まだ会社にお勤めしていました。
息子は20代半ばで、片目には黒い眼帯(海賊か!)、背は2m近い
大男で、夜出かけて、朝帰ってくる生活。
思えば、私が寝泊まりしていた部屋は元々は彼のものだったのかもなぁ。
たぶん、私のような店子が居る時は彼はリビングか物置で寝泊まりして
いたんじゃないでしょうか。

猫はシャム猫で、ひじょーにいけずな子だった。
ママンが「いけない猫ね~(Très méchant chat)」って連呼してたなぁ。
いまだに覚えてる少ないフランス語の一つ。(何の役にも立たない!)

で、食生活があまりにひどかったので、スーパーでよくサラダとか
野菜を買って、部屋で食べていたんです。
そしたら。

何の因果か、アリコ・ヴェールの茹で野菜にあたっちゃったんです!!

その夜からバスルームと部屋を往復して、上を下への大騒ぎ。
食中毒って初めて。熱は上がるわ、嘔吐と下痢が朝まで続いて・・・。

途中でママンが気付いてくれたけど、こちらは具合が悪くて言葉も
出ない。笑
Je suis malade...Je suis malade...と呟き、バスルームに籠城。

翌日は一日寝て、その夜、ヘロヘロになりつつもいささか快癒して
おかゆさんでも食べたい気持ちの私の前に出たものは。

な、なんと、

      手作りのチョコレート・ムース

おう。(@@;
今でこそチョコレートも好きですが、あの頃は苦手だったんですよね~。
生クリームも・・・。
っていうか、病み上がりよぉ。もう少し、胃に優しいものを食べたかった。
これがカルチャー・ショックでなくてなんでせう?笑

後で思ったのは、もしかしてチョコレートって元々は薬用だったし、
滋養と強壮という意味合いで出て来たのかも・・・?

・・・と、どうでもいい話でした。

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キッチン・ガーデンですから、野菜がまぁ見事に生ってます。

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Tearoomもあったから、ここで採れた地モノを使うんでしょう。

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けっこう広いスペースです。
温室もナーサリーも完備。

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このVictorianな保温用のケース、ほしいな~。

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この菜園とは別に雑木林のようなLong Walk用の庭もあります。

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アーティチョークだ。
食べたことないのよね。
日本でも売ってるけど、なんか調理が面倒そう。
長時間、丸茹でにするんですよね?
美味しいって言うけどねぇ。。。

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屋敷内とキッチン・ガーデンを歩き回ってすっかり疲れ、次へ向かう前に
駐車場でティーブレイク。
チップスと、naokoさんの旦那様手製のケーキ。

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いろいろな木の実やなんだかんだが入っていて、とてもヘヴィーで、
日持ちもするという、イギリス伝統のケーキ(らしい)。
出来立てより、日が経った方が美味しく感じるなぁ。しっとりして、
馴染んでくるからかな?

時刻は1時半くらい。
ここからさらに1時間ほど北へ行ったところにある、別のプロパティへ
向かいます。少し、時間がなくて焦り気味。

◇Oxburgh Hall(2)

さて、【Oxburgh Hall】、続いては内部です。
※どうでもいいですが、ナショナルトラストのサイトが使いにくく改悪されてるーっ(--;


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お濠のあるプロパティってローマンティックですよね。
実用には向かないけれども・・・。濠掃除とか大変だし、虫が湧いたりしそう。

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この屋敷へ渡るには小さな橋一つしかありません。

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大きなツインタワーのゲートをくぐると、Courtyard。

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中庭から見るタワーゲートの後ろ側。
空が青い!

さて、いざ邸内へ。

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外側は建造時のスタイルをほぼ守っているものの、実は中は改修されまくり、
外の時代と中の時代はまったく別物です。
ここが歴史ヲタク(=わたくし)的にはちょいとがっかりポイント。。。

邸内の変更の第一段階は、第4代男爵(←若妻をBathで失った彼です)が
行ないました。
だいたい、18世紀後半頃のことです。

この部屋は[Saloon]。
中世以来のお屋敷の必須アイテムである[Great Hall]もぶっ壊したご当主は
古い屋敷の時代にKitchenであった部屋をSaloonに転用しました。
スタイルは"Neo-Classical"、すなわち、「新古典」主義

その後、第7代准男爵(←お母様がPaston家の相続人、莫大な財産を使って
屋敷を改修)も、部屋の飾り直しに手を出し、当時(19世紀半ば)流行だった
"Neo-Gothic"様式に変更。
同時に壁紙とカーテンも赤いシルクサテンのゴシックスタイルに。
ダイニングルームとして使用したそうです。
(ダイニングの壁に赤が好まれたのはポンペイの昔から)

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Jemes2世、かな。19世紀の複製画です。
4代准男爵はこの部屋をギャラリーとして利用しました。

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おや珍しい。これは上記の彼の中年以降の肖像ですねー。

元々、OxburghにはVan DyckKnellerといった有名画家の絵の
コレクション(現存せず)があり、壁に2列になるように(double hang)
飾られていたそうです。

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これは左右別々の絵を合わせたものらしい。
右のお嬢様の脇に黒人の少年の従者が見えますでしょうか?

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第3代准男爵夫人の遠縁の"Baroness Arundell of Wardour"の肖像画。
その膝上のワンコ。こういう細い犬、なんでしたっけ。
ウィペット?

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非常に高い天井からはクリスタルのシャンデリアが。

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きれーい。
掃除するのが大変そうですが・・・。
(キラキラする飾りは一つ一つ手作業で外して磨きました)

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ここには4台の樫のキャビネットがあります。
17世紀の彫像と組み合わせて19世紀にベルギーで製作されました。

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新しい部分と古い部分が合体しているので、ちょっと違和感。

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これまたゴシックスタイルのキャビネットだけど、新しい感じですよね。

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アイスクリーム、灯火を持ってる?

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うーん。

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これは17世紀半ばに流行したアントワープ製"Collectors' Cabinet"らしき物。
材質は亀の甲羅(べっ甲)や象牙など。
ただ、いくつかの点で19世紀のレプリカの可能性もあり。

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真ん中の小さなステージのような部分。
クネクネの柱がバロックっぽい。
たいてい、この奥に大事なものを隠す引き出しが付いているものです。
これは財産目録にも載ってない家具で、いったいいつ、どういう経緯でこの屋敷に
やって来たのかわからない模様。

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続くお部屋は[The West Drawing Room]。
フェミニンでしょう?
Drawing Roomとは女性用の居間です。
たまたま、むくつけきおっさんたちが立ってますけど。笑

元はハウスキーパーの部屋であり、ストックルーム、召使いホールでした。
ここも4代准男爵が改築し、さらに7代が19世紀半ばに改修。

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家族の思い出などを飾るディスプレイ用キャビネットがいくつもあります。

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竹をモチーフにした銀器。

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第5代准男爵夫人Charlotte Jerningham of Costessey。
かわいいです。変なターバンしてるけど・・・。
彼女がWilliam4世妃となったAdelaide王女の侍女を務めた関係で、
王妃から彼女たちの子供へ贈られたゲームなども飾られていました。

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ボードゲーム?

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シマウマの毛皮で作られた子供用シューズ。

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奥の[Library]と[Drawing Room]を繋ぐ小さな廊下には階段室があります。

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ドアの上には

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木彫りのエンジェル。
魔除け?

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Newel post、親柱。
ちょっとわかりにくいかもですが、この壁板は樫の樹ではなくて、
実はお安いpine材です。焦げ茶色の色を付けて、「なんちゃってoak」に
仕上げてあります。(経費削減?)

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エンボス加工されたレザーの壁紙。

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ハゲて褪色した部分は第6代准男爵令嬢Matilda嬢が手直ししたそうです。

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相打ちになってる二人の騎士。なんて不吉な絵だ。

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奥の子供はフランスの王太子っぽい服装ですが、誰でしょう?

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すごいRuff(襞襟)~!
立体的なシャンプーハットというか、拘束具というか。

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続いて[Library]でございます。
こちらは第6代准男爵が改修。
以前は寝室や朝食室があったところを図書室へ変更しました。

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1832年製の壁紙。

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チェス・ボード。
白の駒がヨーロッパの帝国主義国家で、黒の駒がアフリカの原住民。
なんて趣味が悪い・・・。

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石灰岩の炉棚には屋敷を所有した一族の紋章が5つ。
上の木彫の飾りは中世のもので、こういう重厚なのがヴィクトリア時代には
とてもロマンティックだと考えられて好まれました。

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トラの敷物。これまた悪趣味な・・・。

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これは問答無用に愛らしいですね~。
この家の子供と子羊?かしら。

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風刺雑誌、"Punch"のAnnual Collections。

さらに奥には[Dining Room]。

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ゴッテゴテの重厚感。これぞ、ヴィクトリア時代!という感じ。
ここは18世紀まではLibraryでした。

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水面が見えるのはすてきですね。

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ヴェネシアン・ガラスと思しき花瓶に蘭が。

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迫力。

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バトラー用のテーブル。

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古い彫刻のピースを使ってゴシック風にアレンジ。
猟銃で狩りをしていますね。

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北側の階段。

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チューリップと、金と空色。
このレザーの壁紙も重厚感。

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これまた19世紀のお嬢様が修復なさったそうです。

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階段の壁に掛けられた親子の肖像画。

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おかっぱ僕ちゃんの頭に置かれた手。スナップ写真風。

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どことなく和風な髪形(日本髪っぽく見えません?)。

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冠の付いた鳥さん柄のドレス。

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2階のコリドール。

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壁紙。
こういったテキスタイルが豊富に残っているのは好感持てますね。

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これも壁紙。黄色い明りに映えます。

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重厚。

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カルメル会の修道女姿。この家の娘で、初代准男爵の三女。
1673年に誓願し、後に小修道院長になったそうです。
こちらの一族は代々、カトリックなのです。

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[The North Bedroom]。

こちらのベッドの天蓋は"Frying tester"と呼ばれています。
わかりますでしょうか?

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普通、天蓋を支えるのは4本の柱なのですが、こちらのベッドは柱が2本のみ。
つまり、通常あるべき2本の柱がなく、宙に浮いているように見える天蓋なのです。
重そうな木彫りの天蓋を天井に固定することがないなんて、落ちて来そうで
コワイですよね・・・。しかもイギリスで組み立てられているんですから・・・。

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隙間の掃除が大変そう。笑

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祈祷用の椅子。

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左の女性は第2代准男爵の妹、Wetenhall夫人Elizabeth。
彼女は『Grammont元帥のメモワール』の中で、

「彼女は百合や薔薇のごとく美しく、その手脚や腕は蝋のごとく繊細で
雪やミルクのごとく白い。けれど、その美しさはまるで人形のよう。
自然は人形のような女性を生んだ。
彼女は幼き日より死を迎えるまで、乳白色のままだろう。」


と述べられています。
当時(17世紀半ば)、English Beautyの典型だったみたいですね。

[The Marian Hangings Room]。

ここにはスコットランド女王Maryの手製の刺繍のタペストりーが
飾られています。
Mary女王だけでなく、Beth of Hardwickという傑物のものも。
Bethは4回の結婚を通して、現代まで続くDevonshire公爵家の基礎となる
女性です。
これらは彼女たちによって、1569年から1584年までの間に作製されました。

なぜ、そんなものがここに?

実はMary女王はOxburghに一時期幽閉されていました。
(しかし、これはその際に作られたものではありません。)
第4代准男爵と結婚した女相続人、Mary Browneが実家より持参したのです。
彼女の実家は後に火事で焼け落ちますので、貴重な品物が消失するのを
この結婚が防いだ・・・のかもしれません。
夫人は長男出産後、まもなく亡くなります。
後に遺されたのは世捨て人となった准男爵のみ。←再婚すれば良かったのにネ

この歴史的なタペストリーは長い間、[The King's Room]のベッドを
囲むカーテンとして掛けられました。
Oxburghが売り出された後、タペストリーはNational Art Collections財団が
購入し、後にV&Aに寄贈され、V&AからNTへ貸し出されています。

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こちらはBeth作製の"Cavendish Hanging"。

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なんでしょうね?イグアナ?

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オタマジャクシではありません、雨です。

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てっぺんの枠には「Beth of Hardwick」のBH、真ん中のSは
Shrewsbury伯爵家を表しているのかな?

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こちらはMary女王のHanging。

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真ん中のMSはMary Stuartかな?それともMary of Scotland?
PとAはなんでしょう?

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これは有名な一場面ですね。
天からにょきっと腕が地上へ伸ばされ、その腕には鎌が。
葡萄の樹をぶった斬ってます。
Mary女王の個人的なエンブレムです。
Mottoにはこう述べられています。

  Virescit Vulnere Virtus(傷を負うことで強くなる?的な意味)

意味深ですね~。

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もう一つ、こちらもMary女王のエンブレムが。

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このマットみたいなものを複数製作して、地の布に縫い付けているようです。

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このMotto、なんだろう?Ingeni Largitor?

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これ、イノシシですよね?!

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オコジョかミンクか。

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10cmくらいの長さの刺繍用ハサミ。鞘付き。
Mary女王の持ち物だったそうです。

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古い時代のステンドグラス。

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なんでしょう?
生地を延ばす麺棒のようなものを持ってますけど。家庭内暴力?(違

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小さなステンドグラスに実に精密な絵が。

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左の旦那:On peut deguster?(試飲できますか?)
右のマダム:Oui, Bien sûr.(もちろんどーぞ!)

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馬上の騎士。
天気がいいので映えますね。

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さて、ここは[The King's Room]です。
位置としてはツインタワーの部分に当たります。

この名前の由来はHenry7世がOxburghに滞在したことによりますが、
実際にこの部屋で眠ったわけではないそうです。

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この彫像はなんちゃってゴシックではなくて、古いものだと思われ。

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この部屋の一角にはこの屋敷の主人たちが各時代の王家とやり取りした
古文書の数々がたくさんケースに入って飾られています。
これはその一つ。

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封蝋に描かれた国王の姿。

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書記が書いたとはいえ、実に美しいですね。
西洋書道のお手本のようです。

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わかります?
これは襞襟が特徴的な、あの方。

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一段目に大きくサイン。

     Elizabeth R.

Elizabeth1世のものですね。

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彼女は本もよく読み、たいそう知的であったと言われていますが、
サインのぎこちない下手字からするとあまり賢そうにも見えません。
ま、当時はまだまだ識字率も低いような時代ですしね・・・。
大目に見てやるか。←ナニさま?

あと、羽ペンというのは丹念にペン先を整えても字を一定に美しく書くのが
難しい文房具であったことも見逃せません。

そしてこの部屋の隅には有名な[Priest Hole]があります。

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まず、部屋の隅に小さなクローゼットルームがあり、

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その床下に秘密のドアがあります。
写真ではすでに開けられていますが、これを閉じると表面は煉瓦敷きの
床にしか見えません。

そして、この入り口の穴は50cm×50cmほどで、欧米人だとよほどスリムな
人か、子供でないと潜れないほど狭いです。
深さもけっこうあって、1m弱程度ありましょうか。
脚から穴に通して、ホース状の穴を滑り台から降りるように通り抜ける感じ。

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潜った先も狭い!
1m×1mくらいの窓もない空間にベンチシートがあるだけ。
気のせいか、空気も薄いような・・・。

さっさと退散。
すると、ここを制覇した記念(?)のシールを係の人からもらえます。

うーむ。
見ていると、子供と若者くらいしかトライしてませんね。。。
大柄な人はハマってしまいそうだし、身軽でないとちょっと難しいかも。
奈良の東大寺の柱潜りみたいなものかしらん?笑

ちなみになんのためにこんな隠し部屋を・・・というと、イギリスには
長いことカトリック教徒受難の時代がありました。
カトリック教徒であるだけで、様々な罰則や自由の制限があったり、
教育を受ける権利さえ認められなかったり・・・。

そんな受難の最たる時代、カトリックの宗教関係者は隠れ潜むしか
ありませんでした。この隠し部屋はそんな時代の遺構です。

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16~17世紀くらいの家具。
妙に座高が低い椅子ねぇ。

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能天気なワンコとスワンの木彫がかわいい。

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さて、お次は塔の上に出ましょう。
螺旋階段を上りますよ~。

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雲が出てきたなぁ。
数年前まではここからElyの大聖堂も望めたそうです。
現在では樹木が育ってしまい、見えないそうですよ。

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刺繍庭園はやはり、高いところから見下ろさないとね。

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この家の旗でしょうか。
たなびいてます。

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これで一渡り、見終わったようです。
なかなか見ごたえ十分でしたね。

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中庭へ出ると、古本屋を発見・・・!

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古本のブースに使われている部屋の暖炉の上の飾り。

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かわいい。
この獅子だけ見たら、日本のどこかの神社仏閣の飾りみたい。

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ここでゲットした古本とガイドブック。うふ。

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表へ出て、屋敷をぐるりと一周してみます。

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青い空~!
水面には睡蓮。

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船で対岸へ渡れそうですね。

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この一角は現在も准男爵一族がお住まいだそうです。
私はこのオリエルウィンドー内に老齢の男性を見ました。
彼が准男爵じゃないかしら。

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黄色い睡蓮って珍しいかも?

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ふーやれやれ。
まだ庭見物がありますよー。

◇Oxburgh Hall

さて、この日は少し遠出してナショナルトラスト所有の【Oxburgh Hall】へ。
King's Lynnの南にほど近い辺りです。

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駐車場から望むとこんな風。
ここからだとお濠は見えませんね。

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一辺が75mの四角い濠に囲まれて建つ建物は1482年頃のもの。
手前にはパルテール(刺繍花壇)が見えます。

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右手に広がるWoodlandの松ぼっくり。大きい~!

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濠に面した張り出し窓(Oriel Window)はヴィクトリア時代の改築です。
チムニーポットも。

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この建物への入口はこの小さな橋のみです。
要塞的側面を持ったマナーハウス、というのが特徴。

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小さ目の葉っぱの睡蓮。

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屋敷は1482年、Sir Edmund Bedingfeldによって建てられました。
当時は煉瓦を使った建築は要塞等に限定されていて、単なるマナーハウスに
使うのは珍しかったそうです。

ところで、この屋敷はBedingfeld家により500年間も維持されました。
このBedingfeld家の歴史について。

まず、この建物が建つ前に、つまり1066年のNorman Conquest以前に
マナーハウスがあったという証拠はありません。
ただ、de Wayland家というノルマン系の一族が1274年にOxburghの所有者と
して記録に残っています。
Thomas de WaylandはEdward1世の裁判長で、自身の財産を増やすのに
あらゆる機会をとらえた欲深い、嫌われ者でした。
彼の不法な詐取が露見すると、領地の殆どは取り上げられ、唯一妻の名義
であったOxburghだけは手放さずに済み、1434年には遠縁のSir Thomas
Tuddenhamへ受け継がれました。

このTuddenhamもひどい人物でした。
彼の妻は不義により離婚され、尼寺へ閉じ込められました。
ばら戦争時にはランカスター家支持者であり、1462年にはEdward4世
対する陰謀を企てた罪により、国王反逆罪で死刑になっています。
彼は跡継ぎなくして死にました。

こうして、OxburghはTuddenhamの妹、Margaretへ渡ります。
Margaretは15世紀初めにEdmund Bedingfeldと結婚していて、1451年には
夫が亡くなり、翌々年には息子も亡くなりますが、この息子は孫を残しました。

その孫、Sir Edmund Bedingfeldこそがこの屋敷の建造者です。
彼は祖母Margaretより、Oxburghと他にも23のマナーを相続します。
彼は一族の本拠地をEyeからこのOxburghに移すことを計画しました。
そのために、新しい屋敷が必要だったのです。

この際に彼が得たEdward4世による"Crenellate"の勅許状が屋敷内に
飾られています。
Crenellateとは、「銃眼付の胸壁を持った建物」という意味で、いわゆる
要塞建築を建てることで、これには国王による許可状が必要でした。

どうでもいいですけど、20年前に祖母の兄であるSir Thomas Tuddenhamは
Edward4世に対する反逆罪で死刑になっているのに、その孫は同じ国王に
要塞の建築を許されているっておかしいと思いませんか?
なぜ国王の厚遇を得たかと言えば、孫の彼は大伯父とは違い、
ヨーク家支持者(=Edward4世側)だったのです。
ややこしや。

イギリス史ではよくあることです。
同じ家の父子兄弟であっても、支持する党派が違うことは。

ともかく、Sir Edmund Bedingfeldは1483年のRichard3世(ヨーク家の最後の王)
戴冠時にはKnight of the Bathに任じられました。
ところがRichard3世はたった2年後に、後にHenry7世となる王位簒奪者
Henry Tudorに倒されてしまいます。

これはマズイ。ヤバイです!<Bedingfeld家ピンチ!
Sir Edmund Bedingfeldはとっとと鞍替えし、Henry7世の忠僕となります。ぉぃ
変わり身の早いヤツ・・・。

Oxburgh Hallは新王Henry7世とその王妃Elizabeth of York(ヨーク家の
生き残り王女、Edward4世の娘)、王母Lady Margaret Beaufortの面々を
迎え饗応しました。

Oxburgh Hallの建造者が1496年に亡くなると、長男、次男が後を継ぎますが
いずれも嗣子を残さず死去し、1540年に三男で父と同名のEdmundが跡を
継ぎます。

彼は三男だったので、若かりし頃は軍人としてHenry8世ためにフランスとの
戦争を戦い、武勲を得て騎士叙任されました。
Henry8世が兄嫁であったCatherine of Aragonとの結婚を無効とした後は、
Sir Edmund(息子)を元王妃の家政の家令兼監査役に指名しました。

Henry8世とAnne Boleynの結婚と彼女の戴冠に参列しながら、Sir Edmundは
元王妃は最晩年をKimbolton Castleで拘束されていることに気付きました。
1536年、元王妃が亡くなると、彼は葬儀執行を司りました。
Henry8世と王妃Anneは王妃の訃報を聞くとダンス・パーティを開いたそうです。
その直後、王妃は男子を流産します。世間は善良な元王妃を虐げた報いだ、
元王妃の呪いだと噂しました。
こうして、王妃Anneは処刑台への階段を上ります。

Sir Edmundの次はSir Henryと言います。
後に彼はElizabeth1世の獄吏となります。

1549年、ノーフォーク州の農民が共有地の囲い込み(enclosure)に
反対して起こした農民反乱の鎮圧に参加します。
反逆者たちによって捕らえられ、ほとんど殺される寸前で彼はEdward6世の
最もパワフルな大臣であったWarwick伯爵John Dudleyに救われました。
彼はこの恩を忘れず、Dudleyの子分になります。
1551年、Dudleyが初代Northumberland公爵になると、Sir Henryも
騎士叙任されました。

1553年、幼王Edward6世が危篤に陥ると、野心溢れるDudleyは息子と
結婚させた嫁、Jane Greyを後継の女王にさせようと画策しました。
彼女はHenry8世の妹の孫であり、プロテスタント。
Henry8世とCatherine王妃の間の王女Maryはカトリック教徒でした。
Dudleyは国民に不人気なカトリックのMaryではなく、自分の息子の嫁であり
プロテスタントでもあるJaneを手駒にして、国の実権を握ろうと画策したのですが
あえなく失敗。
Dudley、息子、Janeはロンドン塔で処刑され、残りの息子達は罪を免れました。
(4男Robert Dudleyは後にElizabeth1世の寵臣になります)

さて、こんなお騒がせ野心家のDudleyの手下だった、Sir Henryはというと。
Sir Henryの父Edmundが元王妃Catherineの家令だった繋がりからでしょうか、
続くMary1世の支持者として女王を支えます。
つまり、親分であるDudleyを裏切ったわけですね。
Jane GreyがMaryの即位に異議を申し立てた際、彼はMaryを安全に守るため、
140人の騎馬隊を送ります。
即位後、Mary1世は彼を女王の国務諮問団に加えます。

Mary1世の在位はわずか5年。
しかし、女王の強烈なカトリックへの反動政策と、スペイン国王Philip2世との
結婚政策は国民の憎悪を呼び覚ましました。
Sir Henryは女王に対する暴動を抑えようとしましたが抑えきれません。

1554年の3月から5月の間。
Sir Henryが獄吏であったロンドン塔に後のElizabeth1世は収監されました。
暴動を扇動しているのではないかという疑惑によって、異母姉によって
囚われたのです。
その後、Sir Henryに伴われ、彼の監視下で1555年まで、Woodstockの館で
蟄居させられました。

Sir HenryはElizabethを暗殺しようとするカトリックの敵方から引き離し、
反乱へ彼女を巻き込もうとするプロテスタントの同盟者からも離しました。

1555年、Mary1世はSir Henryをロンドン塔長官に据えることで報いました。
ところが、Mary1世が崩御し、Elizabeth1世が戴冠すると、彼の運気は傾きます。
彼の堅固なカトリック信仰と統一法への合意拒否により、彼は宮廷でのすべての
地位を失い、Oxburghへ帰還します。1583年、73歳で死去。

さて、二代飛ばしてひ孫のSir Henry(通称"Cavalier"[王党員])の時代へ。

1590年、"Cavalier Henry"はたったの8歳でOxburghを相続しました。
一族のカトリック信仰への罰金は重く、屋敷や地所の維持へ回す財源は
枯渇していました。
1597年には庭園の277本の樹木が重大な屋敷の修繕のために
伐採されました。

1620年に"Cavalier Henry"はノーフォークの代官となり、1625年には
フランス王太后Marie de Mediciが彼のパトロンとなります。
(彼女はCharles1世妃Henrietta Maria of Franceの母です。)

同年、Charles1世の即位と共に、"Cavalier Henry"の運気は上向きます。
国王は英国国教会の礼拝参列を拒む者に対する罰則から、Sir Henryを
特免してくれました。
(だって、彼の王妃もカトリックなんですもんね☆)

Oxburghではこの安定期に、白鳥が飼われ、果樹園、遊歩道が作られました。

続く、the Civil War(大内乱)の時代には、"Cavalier Henry"のカトリック信仰と
王家への忠誠はピューリタンの一大勢力地であるノーフォークではたいへんな
危険をもたらします。
1644年に、彼と彼の息子はMarston Moorで国王のために戦いました。
後に"Cavalier Henry"は議会軍によってロンドン塔に2年間、虜囚となります。
大内乱はOxburghに大きな影響を残しました。
建物は売られるか没収され、屋敷は略奪され、一部は燃やされました。
一族の損失は当時のお金で、4万7千ポンドという法外な被害でした。

"Cavalier Henry"の死後、Oxburghは長男であるColonel Thomasに
引き継がれ、彼は1665年に子供がないまま亡くなりました。
時はCharles2世の王政復古時代(1660-1688)。

1661年に、Colonel Thomasの異母弟HenryはCharles2世によって
Baronet(准男爵)を綬爵します。
大内乱時の、Bedeingfeld家の王家へ対する中世の見返りとして。
ただし、一族が失った損失については何の補償も与えませんでした。ケチ。
そんなわけで、Oxburghはひどい状態のままだったので、初代准男爵は
Oxburghには一度も居住しませんでした。

その息子、またしてもHenry(いい加減にしてほしい・・・同名だらけ!)は
若かりし頃は"Great Sir Harry"と呼ばれ、大内乱時代にパリで亡命生活を
送っていた王族に付き従い、その忠誠に対して騎士叙任されました。
彼はOxburghを住めるように修繕し、破壊されていたものを置き直しました。
庭もかなり造園し直し、彼の妻の持参金を使って土地や建物を購入しました。
王政復古期のBedingfeld家はそこそこ快適に暮らせたようです。
(思うにCharles1世も1世妃、弟のYork公爵Jamesとその後妻もカトリックだったため、
カトリックに対する当たりはやや柔らかかった時代ですから)


ところが1689年にJames2世が娘であるMary2世とその婿William3世
取って代わられて退位し、彼らは亡命することになります。
再び、強烈なプロテスタントの王権が誕生し、カトリック教徒への課税は
2倍になり、"Great Sir Harry"も領地から5マイル以上旅行することを禁じられ、
カトリック教徒の子供はEnglandで教育されることを許されず、土地を相続したり
購入することもカトリックには禁じられてしまいます。(1700年まで)
必然的に、"Great Sir Harry"は借金を重ねることに。
彼の4人の子供は教育を受けるためにフランドル地方へ送られ、
1704年に彼は死亡します。

"Great Sir Harry"の長男Sir Henry Arundell Bedingfeldは青年期を海外で
暮らし、1713年になるまでOxburghに戻りませんでした。
1719年に彼はプロテスタント教徒のElizabeth Boyleと結婚。
この結婚によって、Sir Henryが直面していた反カトリックの制限をいくらか
緩和することができたのかもしれません。
妻の兄、Burlington伯爵はイギリスの風景式庭園の先駆けともなった
庭園設計者および建築家(パラディオ様式)だったので、彼もその影響を
受け、Oxburghの庭園を改良したかもしれません。

続く第4代准男爵Sir Richard Bedingfeldは父と同じくフランダース地方で
教育を受けました。
彼は1760年に相続し、翌年にMary Browneと結婚します。
彼女は"The Marian Hanging"と呼ばれる、スコットランドのMary女王の
手による刺繍の織物を持参しました。
彼女の実家は1793年に火災に遭いますので、この結婚によって実家から
婚家へ持ち出したことで、このタペストリーを救うことになったのは奇縁かも。

彼らの息子、同名のRichardは1767年にBathで生まれますが、母Maryは
わずか3週間後に亡くなってしまいます。
悲しみに沈んだSir Richardは世捨て人としてOxburghに隠遁しました。
息子のRichardの学校休暇での帰還を除いては会う人もなく。

1775年にはSir RichardはGreat Hallを取り壊します。
橋を取り壊したり、屋敷の部屋のレイアウトを大きく変更してしまいました。

1795年に父が亡くなると、息子のRichardが第5代准男爵となります。
同年、彼はCharlotte Jerningham of Costesseyと結婚。
Jeningham一族ももまた、カトリック教徒の准男爵家でした。
同じ地域にある、同じ宗教の、同じ爵位の2つの家族は何度も婚姻を
繰り返していました。
彼らは結婚後数年間をOxburghで過ごしましたが、1811年にBathへ
転居します。
ちょうど、Regency(摂政時代)華やかなりし頃です。

その後、彼らはGhentへ移ります。
Napoleon戦争終結により、海外渡航の制限が解除されたために可能と
なった移動でした。

一家は現在はベルギー領であるLovendighem城を借り、そこで
Saxe-MeiningenのAdelaide王女と知己を得ます。
彼女は後にWilliam4世妃となる女性です。
この知遇により、Sir Richardの妻Charlotteは王妃の侍女、
"the Queen's lady-in-waiting"としてBrightonで仕えることになりました。
ほら、あのタマネギ頭のRoyal pavilionで、ですよ・・・。

ところで、こうして一家の長い不在の間、Oxburghはどうなったかというと。
1826年の、准男爵の長男(後の6代目)が結婚するまで人に貸し出されて
いました。
屋敷の貸し出しは経済的には有利であったかもしれないけれど、この間に
地所が負ったダメージは深かったようです。
1825年に専門家によって地所は調査され、「材木も農園もすべてひどい
状態である」と査定されています。
また、地所の建物の多くは手入れが行き届かず荒れ果てているので
打ち壊すべきである、と。

屋敷がこのような有様だった頃。
第6代准男爵Sir HenryはMargaret Pastonと1826年に結婚します。
古くからのノーフォーク地方の名家の最後の一人であるMargaretは
なんと5万ポンドもの持参金をもたらします。
しかも、彼女の相続したAppletonの地所を売り払った利益、3万7千ポンドも
付け加わりました。
Jane Austenの小説、『高慢と偏見』に出てくる超大金持ちの独身男の
年収が1万ポンドとか言われている時代です。
ものすごく大金を背負った花嫁ですね~!
その功績(?)ゆえか、Sir Henryは苗字に妻の旧姓を付け加えて、
1830年以後はPaston-Bedingfeldに改姓します。

同年、Sir Henryは弟宛の手紙に、発信元住所として"The Ruin"(廃墟)
と記入しています。これは一種のユーモアですね。
Oxburghは長らく欲していた、"time and money"を得て、ようやく修繕及び
改築される機会を得た時期ですから・・・。

夫妻は相続するやいなや、屋敷の改築に取り掛かります。
Margaretは建築家のJ.C.Bucklerを敬慕し、彼に主要な改築を一任します。

夫妻の子供たちも屋敷を愛しました。
彼らの娘、MatildaはOxburghの水彩画一式を残しています。

1862年に屋敷を継いだ第7代准男爵(またしてもHenry)は妻Augustaと
共に、屋敷の改良をし続けました。

第7代夫人は内気で、信心深く、修道女になるのが夢でした。
しかし、彼女は古い一族の最後の一人として、父祖の地、
ノーサンバーランドのCallaly Castleを守るために結婚しなくては
ならなかったのです。
それなのに、彼女が見たのはその城を夫に売り払われてしまうこと
だけでした。なんて、ひどい。

7代准男爵は息子たちにそれぞれ1000ポンドずつ与え、彼らの
運試しに行かせました。
未来の第8代准男爵と何人かの兄弟はアメリカを旅行し、ワイオミング
のシャイアン族の近くの牧場を購入しました。
彼らは何年もそこに住み、カウボーイたちと共に働きました。
兄弟の一人は"Whisky Dick"として知られ、Wild Bill Hickokと乗り
回しました。

1902年、Sir Henryは父親の死に伴い、Oxburghに戻りました。
彼は42歳になっており、いまだ独身でした。
彼は女遺産相続人を見つけようとしましたが、結局、恋愛結婚しました。
Sir Henryが結婚したのはSybil Lyne-Stevensと言い、彼より23歳も若い
21歳の女性でした。
この女性が後に、Oxburghを破壊から守ることになります。

さて、Sir Henryがワイオミングで過ごした日々は彼が傑出した騎手である
ということで、彼は決して完全には自動車がもたらす変革を理解できません
でした。
彼は田園紳士の生活を楽しみ、献身的な雇用者でした。
彼は1941年に惜しまれながら亡くなりました。

結局、屋敷は高額の相続税ゆえに一族の手から離れざるを得ず。
1951年に一度は第9代准男爵のよって売り立てに出されるも、
1952年に第8代未亡人Sybilによってナショナルトラストへ寄贈されることに。
かくして、屋敷の東翼はPaston-Bedeingfeld一家のテナントして現在も
残されています。(こちらは非公開)

途方もなく長くなってしまいました。
次回は屋敷の中へ!

第25回神保町ブックフェスティバル

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高校時代の友人M(司書)に誘われて、神保町へ。

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大通りから一歩中へ入った「すずらん通り」は出版社のブースがメイン
なのかな?
版元直売なので、だいたい20~50%引きというお値打ち品揃い。
しかも、古本ではなくて新刊なんでございますよ。

大通りの方、「靖国通り」は古本屋さんのブースがメイン。
こちらも店頭価格より値引きされています。

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朝10時集合、13時にティーブレイク。ふぅ。
スコーンのジャムはストロベリーと、ローズ!!
ちゃんとクロテッドクリームなのはさすがの紅茶専門店。

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サクサクした風合いで、私好みのスコーン。
ただし、超小さい・・・。直系4cmくらい。
イギリスの巨大スコーンの1/5くらいでしょうか・・・。

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ツナサンドウィッチ、一山欠けてます。Mが写す前に食べるから~!

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すごく時間がかかって、最後に紅茶が出てきました。
この店内、入った直後からシナモンの香りに包まれていました。
もう、シナモンチャイ以外頼まないわーっというくらい、強烈に。
というわけで、我々もシナモンチャイをオーダー。
温まります。
この日も底冷えしたので。

司書をしているMは私の友人の中でも、無類の本好き。
負けたわー。(@@;
登山用のリュック背負ってきてましたよ。。。さすが。

午後の後半戦、人がたくさん出てきて、各ブースも人だかり。
これだけ多くの本好きがいるのね。
そうかと思えば、一年に一冊も読まないという人もいるわけで・・・。

年配の方々で一生懸命本を探しているのを見るとほのぼの。
家族連れや若い人も多くて、こっちを見てもほのぼの。

いつもは孤独を感じる愛書家ですが、ここに来ると団結を感じます。
そして、やっぱりここは世界一の書物の町だな~とも思う。
その数、その専門性、半端なし。
深い、深すぎる。

そうだなぁ、規模で言うとHay-On-Wyeの10倍くらい?

戦い済んで日が暮れて。
神保町と言ったらやっぱり、

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カレーよね。
私は窯焼き卵カレー。
Mはピザトースト。

閉店前の投げ売りに寄るという恐るべき体力のMとお別れして、私は帰宅。

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この日の収穫物!
一番左の学術書は定価7,600円が2,000円です!

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右肩に付いたカエルがかわいくて、つい買ってしまいましたブックカバー。
普段はカバー使わない派なんだけどねぇ。えへ。

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フリーペイパー。
・・・この問答のセンス、好きだわぁ。笑
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willows66

Author:willows66
庭・旅行・美味しい料理・英文学・映画・ピアノ・猫・蛙フェチの女の日記。

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